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  • 執筆者の写真ゆるふわ先生

pairsで女性とご飯を食べた話





−Tabula rasa

タブラ・ラサ。ラテン語で「何も刻まれていない石板」を意味する、イギリス経験論の象徴ともいえる言葉だ。

人は白紙の状態で生を受け、経験によって特有の物語が紡がれていくのだという思想を示している。


獅子は我が子を崖へ突き落す。その石板に獣王としての誇りを刻み込むために。




イギリス経験論の祖、フランシス・ベーコンは「なんにせよ最上の証明とは経験である」と言った。


およそ8世紀も前の言葉だが、なるほど時代の洗礼を受け語り継がれてきたアフォリズムには、現代でも通用する説得力がある。


社会の酸いも甘いも味わったことのない者には、どれだけ年月を経ようと、特有のあどけなさが残るものだ。


IQが20離れると会話が成立しないといわれるが、互いに積んできた経験が隔絶している場合にも同様のことが起こるだろう。


積み重ねてきた経験は少しずつ醸成され、やがてヴォーネ・ロマネも霞ませるような、極上のワインへと至る。




しかし僕は、唯一恋愛だけは<経験が富をもたらす>法則の枠外にあると考えている。


『恋愛論』を著したスタンダールによると、恋愛は特有の心理的な変容を辿る。


人の心は感嘆や自問、希望、疑惑などの過程を経て、最後に揺るがぬ愛へと至るらしい。


スタンダールはその変容を、「それはまさに冬のドイツ-ザルツブルグの廃坑で、枯れ落ちた枝に塩の結晶が結びつき、ダイヤの煌めきを放つがごとし」と喩えている。




だからこそ思う。そんな経験は一度だけで済ませるべきだ、と。


きっと交わした恋愛の数だけ「ダイヤ」は生まれるのだと思う。そして「ダイヤ」を生んだ数だけ、その磨き方も分かるようになるのだろう。


だがその宝石のような恋が放つスパークルは、この恋に全てを捧げたいという献愛の情は逆に、場数を踏むほどに色褪せていくのではないだろうか。


そしてそんなことを続けていくうちに、最後には恋愛そのものがただの人間関係ゲームに堕してしまう。少なくとも僕はそう疑ってやまない。




今の日本に蔓延する「恋愛」は余りにも歪んでいる。


無神論者が多数を占めるはずの日本人はキリスト教的自由主義恋愛に迷妄し、資本市場の発達はいまや恋愛にまでその見えざる手を伸ばした。


日夜開かれる街コンでは互いが獲物を見定めながら欺瞞に満ちた会話をくり広げ。恋活アプリでは自らの需要が数値として可視化されるようになった。


SNSやブログでは「男は~、女は~」といったやたらに主語の大きなレッテル貼りが喝采を浴び、恋愛を最初から人間関係ゲームとして捉えた恋愛工学の本が飛ぶように売れている。


そしてますます人は、青春の初恋を描いた作品に眩いほどの憧憬を見るようになった。




大分前置きが長くなった。本題に入ろう。


先日、pairsで女性とごはんを食べた。


いいね数が500を超えるような女性だ。


対する僕はいいね数8だ。ふん、ゴミめ。




なぜそれだけの恋活戦闘力を有しておきながら、僕のような恋愛市場の泥濘を這いずり回るゲジゲジ以下の存在と会おうという数奇な考えに至ったのか。


全くもって理解に苦しむが、いずれにせよ僕に会わない手はなかった。数回のメッセージをやり取りし、会っていただける運びとなった。


小雨の降る奈良駅前で待ち合わせる。


待ち合わせ場所へつくまでに、既に頭の中でシミュレーションはできあがっていた。


数日前から練っていた周到な作戦だ。まずは初手の自己紹介で士業であることをアピールする。大体の女はこれでワンパンできるはずだ。さらに海外に興味があることを匂わせる(童貞データバンクの統計では、海外という言葉を持ち出しただけで女性を落とせる確率は跳ね上がる。当然実証されたことはない)。


そして言葉の端々に誠実さを含ませれば完璧だ。余計な装飾はいらない。真面目で朴訥、しかもユーモアに溢れる素敵な男性。そうアピールするのだ。駅前で路上演奏家の奏でる玲瓏な民族調の音楽が、僕の勝利の栄冠を讃える吟遊詩人のしらべのように響いていた。




「待ちましたか?」

そう言って彼女は現れた。端正な顔立ち。茶色がかったセミロングの髪に、薄手のベージュのコートがよく似合っている。一目見てレベルの高さが窺えた。


「顔写真かわいいなと思って会ってみたら、『ハウルの動く城』に出てくる荒地の魔女とエンカウントした」なんてソフォクレスも顔負けの悲劇が、ネットを通じた出会いの中では往々にしてあるらしいが。


そこにいたのはむしろ写真以上にかわいらしい女性だった。


「いえ、僕もついさっき来たところです」


ともに連れ立って、メッセージのやり取りの中で「ここオススメのお店なんですよ」と言われ予約していた場所へと向かう。


戦国時代の水軍の名を冠した、どこにでもある居酒屋チェーン。いやまあここ、奈良県なのだけれど。海に一切面してないとかそういうツッコミは無しですよね。


戦国時代には織田信長に仕えていて、権勢を誇るあの毛利水軍相手にも勝利を収めた、由緒正しい水軍らしいですよ。


道すがら、緊張をほぐすのも兼ねて店名にまつわるトリビアを話してみる。


「へーそうなんですか」


ちょっと今まで聞いたことがないくらい、ロボットみたいに平たんな声音だった。どうやら心底興味がないらしい。蘊蓄にだろうか。それとも僕自身にだろうか。恐らく両方にだろう。第一印象の掴みはどうやら失敗したようだ。




店の中に入る。料亭を意識してはいるものの、やはり居酒屋だということが一目で分かる内装だった。


視線を下に落とすと、床に埋め込まれたディスプレイに池が投影されており、デジタルの錦鯉が遊泳していた。


ふと、全部ニセモノだなという感覚が頭をよぎった。この店も、この鯉も。この出会いも。所詮はpretenderなのだろう。そんな卑屈な考えが心をかどわかした。


店に入る前から、「さっさとご飯だけ食べて帰ろう」という雰囲気を彼女から感じ取っていたからかもしれない。


こういった人の機微を読み取ることに関して、僕はちょっとした権威なのだ。豆腐並みのメンタルは既に白旗を上げかけていた。


(大丈夫、シミュレーション通りにやればまだ目はあるはず)


そうセルフアファメーションをかけて、なんとか気勢を持ち直す。女性は話している内に相手に惹かれる傾向が男性より強いと、どこかで読んだことがある。


それに例えアプリがきっかけだろうと……一度恋の炎が灯れば、ニセモノかどうかなんていうのは些事のはずだ。




席についてカクテルを注文する。乾杯をし、軽く自己紹介をした。職業について触れる。全く響いていないようだった。


職業はダメか。まあ士業とはいえ知名度低いしな。なら第二の矢だ。


「いずれは海外でも働いてみたいと思っていて」

「へーそうなんですか」


(じゃ、なんで私を誘ったんですか?max bakaなんですか?)そんな副音声が聞こえた。ダメだこりゃ。作戦は崩壊した。



方針を切り替えて、趣味の話でお茶を濁す。

「そ、そういえば。アニメや漫画はよく見るんですか?」

「最近はあまりアニメ見なくなりましたけど、好きですね」

「ジョジョ好きってありましたよね。何部が一番好きです?」

「うーん4部かな……」

「4部いいですよね。スタンドも複雑じゃないし」

「あまり人が死なないのがいいですね。敵が味方になる展開もありますし…」


運ばれてくる料理を処理しながら、

(料理はまさに「処理」という言葉がふさわしいほどにマズかった。というか、「オススメの店なんですよ」と言っていたはずの彼女ですら顔をしかめていた。なんで?)


ジョジョの話、仕事の話、彼女の飼っているペットの話をした。

でもそれは相手のことを知るためというよりもむしろ、ただその場の雰囲気を壊さないために縫い付けられる、継ぎはぎのワッペンみたいだった。


限界までリキュールを薄められた酒を飲みながら、それに劣らないくらい薄い会話を続ける。時間の流れがやけに遅く感じられた。アインシュタインに文句を言いたい気分だ。


正直たまらないほどに苦痛だったし、同時に、彼女に対して申し訳ない気持ちで胸がいっぱいだった。




ふと会話が途切れ、沈殿したタピオカのような質量をもった沈黙が訪れた。


既に戦況は絶望的だった。恐らくこの店から出た瞬間ブロックされるのだろう。どうせ討死するのならばと意を決し、気になっていたことを尋ねてみた。


「それにしても、なんで会おうと思ってくれたんですか?もっといいね数多い人たくさんいますよね。いや僕としては有難いんですけど」


「うーん……。正直、その人のいいね数に関係なく皆同じ顔に見えるというか……」


余りにモテすぎるとその領域に達するらしい。僕もいずれ言ってみたいものだ。


「それに、いいね数の多い人はむしろ苦手なんですよね。たくさん遊んでそうだし。私だけを愛してくれる人が欲しくて」


「!」


もちろん、今までの文脈から「お前は論外だけどな」という響きが言外に含まれていることは分かっていた。それでもここで行かなければ男ではないだろう。フリかもしれないという一縷の希望を捨てず、ダメ元でアピールしてみる。


「そういうことなら僕は適任ですね。僕はいいね数少ないし、女性経験もほぼ無いので」


「……」


NHK職員に対峙する立花孝志みたいな表情をされた。……いや分かってたけどさ。かわいい顔が台無しですよ。


「まあ、まだ若いですし。これから経験を積んでいけばいいと思いますよ」


そう言ってため息をはくと、彼女は腕時計を見た。


「そろそろ出ましょうか?」


出会ってからまだ1時間も経っていなかった。




会計を済ませ、店を出る。


「今日は会ってくれてありがとうございました」


僕が謝辞を述べると、軽い頷きが返ってきた。「またーー」と口に出して、彼女が眉をひそめているのに気付く。そのあとの言葉は宙に浮いたままだった。


「じゃあ私はこっちなので」


彼女が昔ながらの面影を残す古路へと消えるのを、黙って見送った。彼女の後姿を飲み込んでいく夜の闇は、まるでフェルメールの描く憂鬱な影のようだった。


無性に叫びたくなって、近くのカラオケに入った。ロクに歌えもしない曲を、鈍い金切り声で歌った。グッバイ。君の運命の人は僕じゃない。




いつかこの苦い経験も結実するときがくるのだろうか。


僕の石板にまた一つ敗北の記憶が刻み込まれた。

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